――こうして始まった、高校最後の夏休み。愛美は純也さんとケンカ中のままで、葉山にある秦(はた)野(の)さん宅でバリバリ家庭教師のアルバイトに励んでいた。今日で四日目である。「――麻利絵(まりえ)ちゃん、この問題、当てはめる公式が間違ってるよ。もう一回最初からやり直してみようか」「え~~!? 面倒くさい! 愛美先生、もう休憩しようよー」「ダメ。この問題を解き直してからね」 仕事は主に、受験生であるこの家の長女・麻利絵の勉強を見てあげることなのだけれど。彼女の一学期の通知表を見せてもらったところ、今の成績では志望校合格は厳しいように思えた。 麻利絵は第一志望が私立高校なのだけれど、それでもギリギリ受かるかどうかというところ。愛美の指導に熱が入るのも致し方ないことだった。「……で、香菜(かな)ちゃん。今書いてもらった英文、文法がおかしいから。助動詞の使い方に気をつけてもう一回書き直してみて」「はーい」 そして、現在中学一年生の次女・香菜も数学と英語の成績があまりよくないので、そちらも見てあげなければならない。 この二人の学習意欲が低いことは、前もってさやかと秦野夫人から聞かされていた愛美だけれど、まさかここまで勉強嫌いだったとは……。(引き受けたのがわたしでよかったかも。さやかちゃんが引き受けてたら、もうとっくにサジ投げてただろうな) 根が真面目で努力家で、働くのが好きな愛美だから、この姉妹の家庭教師が務まっているのだ。現に、愛美以前に来た家庭教師は三日ともたずに辞めていったそうだし。(バイトと原稿を書くのに打ち込んでいられる間は純也さんのこと思い出さなくて済むし、わたしも実は助かってるんだよね) あのケンカ別れからずっと、純也さんからは電話もメッセージもウンともスンとも言ってこなくなった。だから彼が今どこで何をしているのか、あのクルーズ船に乗っているのかいないのかまったくもって分からない。……もっとも、気になってもいないし、愛美からも連絡するつもりはないけれど。(もしかして、わたしが手紙に「純也さんからメッセージが来ても既読スルーしてやる」って書いたから、向こうも意地になってるとか?) 本当にガキはどっちよ、と愛美は思う。あれだけ愛美のことを「意固地だ」「頑固なガキだ」と罵倒したくせに、やっていることは彼の方が子供っぽいというか大人げな
* * * * ――バイトの時間は午前中だけで、昼食後は自由時間となる。 愛美は自分の部屋で、姉妹の生徒たちに出した課題の添削をしていた。「……う~ん、二人共通の課題は読解力不足かな」 麻利絵と香菜、二人はどうして勉強ができないのか。どうすれば成績が上がるのか。その原因を探っていたのだけれど、何となく分かった気がする。 麻利絵も香菜も、基本的に問題を読み解く力が弱い。だから理解が追いつかないのだ。 では、どうしたら読解力が身につくのか――?「本を読むのがいちばんのトレーニングになるんだけど。あの二人、本なんか読まなそうだしなぁ……」 二人ともいわゆるギャル系で、オシャレやメイクなど自分の興味のあることには熱心だけれど、本は雑誌くらいしか読んでいるところを見たことがない。勉強中の休憩時間には、スマホを見ていることがほとんどだ。「せめて電子書籍でもいいんだけど、本はやっぱり紙書籍を読んでほしいなぁ」 紙の本のページをめくる動作だけで、脳は活性化されるらしい。この際、コミック本でもいいから勧めてみるべきだろうか? ――と考えに耽っていると、部屋のドアがノックされた。「――愛美先生、外いい天気だし、散歩行かない?」 ドアを開けると廊下に麻利絵と香菜の美少女姉妹が立っていて、愛美を散歩に誘いに来たらしい。「うん、行こう。この近くのカフェで、二人にクリームソーダごちそうしてあげるよ」「やったー! お姉ちゃん、愛美先生誘ってよかったね」「うん!」 というわけで、愛美は二人の生徒を引き連れて、秦野邸の近くにあるカフェで課外授業をすることにした。 * * * *「「――いただきま~す♪」」 麻利絵と香菜の姉妹がクリームソーダを美味しそうに食べ始めるのを、愛美はいちごタルトセットのアイスティーを飲みながら眺めていたけれど。先生の顔になって課外授業を始めた。「麻利絵ちゃん、香菜ちゃん。食べながらでいいから聞いて。――わたし、二人の課題に目を通して分かったんだけど、二人に共通して足りないのはズバリ、読解力だと思うの」「読解力?」「そう。問題を読み解く力。二人にはそれが欠けてるの。そこでわたしから質問なんだけど、二人って本を読むの苦手でしょ?」 姉妹は顔を見合わせた後、同時にコクンと頷いた。
「あたしは雑誌くらいしか読まないし、香菜も本読んでるところ見たことないよ」「うん。スマホ弄ってることの方が多いよね」「やっぱりね。そこで、愛美先生から一つ、二人に宿題を出します。この夏休みの間に一人一冊、何か本を読むこと。ただし雑誌以外で」「「えーーーーっ!?」」 愛美の提案に、姉妹揃って盛大なブーイングをした。「『えー』じゃないの。読むのはコミックでもいいから。最近のコミックは勉強になるのも多いからね。ホントは活字の本限定にしたいところを、これでも譲歩してるつもりだよ。読解力を養うには、読書がいちばん手っ取り早いの。特に麻利絵ちゃんは、受験にも絶対に役立つから。騙されたと思ってやってみて」「…………はーい」「マンガでもいいんだよね? じゃああたしも読書やってみる!」「うん。――じゃあ、先生の時間はここまで。ここからは二人のお姉さんとして、質問に答えようかな。二人とも、わたしに訊きたいことない?」 一人の女子高生に戻った愛美に、姉妹から質問が飛んでくる。「愛美先生、彼氏いるの?」「お母さんが言ってたけど、愛美先生、作家だってホント?」「彼氏はいるよ。十三歳も年上の」 麻利絵からの質問には、そう答えた。「えっ、そんなに年上なの!?」「うん。でも今ケンカ中でね、メッセージも既読スルーしてるんだ」 この夏だけの教え子にこんなことを言うのも何だけれど、愛美はそれも正直に打ち明けた。「――で、わたしが作家だっていうのはホントだよ。去年の秋に、〈イマジン〉っていう文芸誌でデビューしたの」「へぇ、スゴ~い!」「でも、まだ本は出てないの。秋に短編集が発売されることは決まってるけど。で、今長編小説を執筆してて、もうじき書き上がる」 短編集が出版されることは、夏休み前に岡部さんから知らされた。夏休みが終わったら、ゲラチェックの仕事も入るのでますます忙しくなりそうだ。「へぇ、スゴいスゴい! 小説書ける人ってマジ尊敬しちゃう! やっぱり愛美先生もいっぱい本読んだの?」「そうだね、そりゃもう小さいころからいっぱい読んできたよ。わたし、実は施設で育ったの。施設ではTVを観る時間も限られてたし、ゲームもできないし、スマホも持ってなかったし。楽しみって読書くらいしかなくて」 小説を書き始めたのは小学校の高学年からだった。中学では文芸部に入り、部長にま
* * * * ――それから二週間後のある夜。「……やっと、やぁっと書けたぁ……!」 愛美が二人のおバカさんの教え子と向き合いながら、並行して冬からずっと執筆を続けていた長編小説の原稿がついに書き上がった。原稿のファイルを岡部さんにメールで送信し終え、愛美は思いっきり伸びをする。 学校にいる時は勉強の合間に、夏休みに入ってからは自分の夏休みの宿題や家庭教師のバイトもしつつ、毎日コツコツ書き続けていたので、思ったよりも時間がかかってしまったけれど。それでもこうして最後まで書き上げることができたことは本当に嬉しい。「なんか思いっきり疲れたけど、でも清々しい気持ち……」 長編小説を一作書き上げると、こんなにも達成感があるのかと愛美は充実した気持ちになった。これだから、好きな仕事は辞められないのだ。 ……ピンポン♪「……ん? メッセージだ。純也さんから?」 机の上のスマホにメッセージを受信し、さやかからかなとウキウキしながら画面を確かめた愛美は、発信者の名前を見て眉をひそめた。 忙しいことを口実にして、彼のことは頭の中から排除していたけれど。原稿を書き終え、家庭教師のアルバイトも終盤に差し掛かった今、そろそろ現実(かれ)とも向き合わなければ。『俺、君が勝手にバイトをしてたこと、まだ怒ってるから。 でも、バイトが終わったら千藤農園に行くんだよな? その時は俺も行く予定だから、また去年みたいに一緒に遊ぼう。 それで許してあげてもいいよ。』「……はぁっ!? 何それ。純也さん、いつまで拗ねてんのよ。ガキか」 メッセージの内容の大人げなさに、愛美は画面に向かって毒づいた。あれからもう一ヶ月が経ったというのに、大の大人がいつまで引きずっているのか。「しかも、なんかめちゃめちゃ上から目線だし。ちょっとムカつく」 相手の方が十三歳も年上なので当たり前といえば当たり前なのだけれど、上から目線なのは不愉快極まりない。「いつまでも引きずってるのはわたしも一緒か。でも、わたしはどうせガキだもん」 愛美はこの話を誰かに聞いてもらいたくて、さやかに電話をかけた。『――はいよ。愛美、バイトはどう? 順調?』「うん。まあ、ボチボチかな。麻利絵ちゃんも香菜ちゃんも読書をするようになったら読解力も上がったし、今日やってもらった小テストの出来もよかったから。あと
「……どう思う、さやかちゃん? なんか上から目線でムカつかない? そんなんで仲直りしたいって言われてもさぁ、こっちだって素直に『うん』とは言えないよね」『純也さん、大人げないっていうかガキだね。んで、アンタはどうするつもりなの?』「なんか、このまま千藤農園に行くのも、純也さんの思うツボみたいで癪だなぁ、って。何となく気まずいし」『だよねー。んじゃさ、ウチにおいでよ。埼玉の実家』「えっ、いいの?」 さやかからの思いがけない提案に、愛美は思わず声を上ずらせる。『ウチはいつでも大歓迎だよ。お兄ちゃんはもう休暇明けて東京に戻っちゃったけど、お母さんもおばあちゃんも、もちろんお父さんと下の兄妹たちも、また愛美に会いたがってるからさ。アンタ働きすぎだし、ウチに来て息抜きしなよ』「う~ん、でもなぁ……」『また「おじさまに相談しなきゃ」とか思ってる? もう十八なんだし、自分で決めちゃって大丈夫だよ。だいたい、相談する相手って結局あの人じゃん。相談するだけムダだって』「…………あ、そうだった」 ついつい『あしながおじさん』のジュディと同じことをしようとして、愛美はさやかの指摘にハッと我に返る。 〝あしながおじさん〟の正体を知らなかったジュディと違い、愛美はその正体が純也さんだということをちゃんと知っている。しかも、その彼とは現在絶賛ケンカ中なのに、その相手に「ダメ」と言われることを分かっていながら相談するなんて、そんなバカな話があるだろうか。「……そうだよね。じゃあ、そっちに行こうかな。長野より埼玉の方が近いし」『そうしなよ、愛美。おじさまにはこっちに来てから事後報告でいいじゃん』「うん、それ、いいかもね」 そういえば、ジュディも〝あしながおじさん〟に相談することなく親友のところへ行き、ジャービスとの約束をすっぽかしていた。(ふふん、だ。純也さんもせいぜい、わたしが自分の思い通りにならない相手だって思い知ればいいのよ! わたし、間違ってないもんね) さやかの言う通り、この夏はこれでもかというくらい働いた。家庭教師のバイトもやり切ったし、初めて長編小説を一作書き上げることもできた。だから、夏休みの残りの日数くらいはさやかと遊んだってバチは当たらないだろう。
「じゃあ、バイト代もらったその足でそっちに行くよ」『分かった。高校最後の夏休みだもん、一緒にめいっぱい楽しも!』「うん! じゃあね。夜遅くにゴメン」『ううん、いいよ。電話くれてありがとね』「――さて、さやかちゃんにはああ言ったものの……。やっぱり、おじさまには手紙で知らせないとマズいよね……」 愛美はそう呟き、机の上にレターパッドを開く。反対されようと、こういうのは報告したもの勝ちだ。後からどうこう言われようと知ったこっちゃない!****『拝啓、おじさま。 八月に入り、わたしの高校最後の夏休みもあと半月を残すばかりとなりました。 午前中はおツムの弱い姉妹の先生をして、午後からは近くを散歩したり、ショッピングをしたり、夜には原稿を執筆して過ごしてました。 長女の麻利絵ちゃんは、最初の頃こそ「こんなので高校に入れるのかな」って心配してましたけど、最近はちょっとマシになってきました。ただ、まだ高校に入れても勉強についていけるかな……って感じですけど。 次女の香菜ちゃんに至っては、最初はもうお手上げ状態でした。まず、こっちの話が通じない。そして向こうも何を言ってるのか理解できない。まるで宇宙人と話してるみたいでした。勉強の時にもスマホを手放さず、スマホを見始めたらこっちの話なんか右から左なんだもん。 でも、わたしから読書の宿題を出したら、二人ともガラッと変わりました。二人には読解力が欠けてたみたいで、自分で選んだ本を読み込むことでそれも補えたみたい。 家庭教師として、わたしはちゃんと二人の役に立てたのかな。だとしたら、引き受けてよかった。 そして、冬から書いてた長編小説がやっと書き上がったの! 今日、編集者さんにデータを送ったところです。
夏休みが終わったら、秋にいよいよ発売される短編集のゲラのチェックもしないといけないみたいで、わたしは作家としてますます忙しくなりそう。 ところでおじさま、聞いて下さい。さっき純也さんからメッセージが来てたんだけれど、なんか上から目線で素っ気ない内容でした。彼はまだ、わたしが彼の反対を無視して勝手に家庭教師のバイトを決行したことを怒ってるって。でも、農園で会った時に素直ないい子に戻ってたらまた仲良く遊んであげてもいいよ、それで許してあげる、って。わたしはそう解釈しました。 ね、上から目線で偉そうでムカつくでしょ? だからわたし、さやかちゃんに電話して、この話を聞いてもらったの。それでのこのこ農園に行くのも、彼の思うツボみたいでシャクだし、って。そしたら、さやかちゃんが「ウチにおいでよ」って言ってくれたんです。つまり、埼玉の彼女の実家に、ってこと。この夏のわたしはハッキリ言ってワーカーホリック、つまり働きすぎだから、ウチで息抜きしなよ、って。 わたし、行っちゃダメですか? まだ自分の意思で決めちゃダメなの? ううん、そんなことないはず! めいっぱい働いたし、残りの夏休みくらいはさやかちゃんといっぱい遊びたい。で、ぶっちゃけ純也さんとの約束をドタキャンしてやりたいんです。 わたしはあなたの思い通りになんか動かないんだって、彼に思い知らせてやらないと。おじさまも同じです。 とにかく、わたしはバイトが終わり次第埼玉へGo!! かしこ八月十日 ワーカーホリック愛美』**** ――それから十日ほど後。無事に愛美の家庭教師のアルバイトは終了した。「愛美先生、一ヶ月間お疲れさま。これ、謝礼ね」「わぁ……、ありがとうございます!」 秦野夫人からバイト代の封筒を受け取った愛美は、失礼だとは思いつつ中身を確認した。「……はい、確かに十万円受け取りました。でも、ホントにいいんですか? こんなに頂いちゃって。わたし、この半分でも充分ですけど」「いいのよ。娘二人を勉強する気にさせてくれたあなたには、本当に感謝してるんだから。大変だったでしょう? だからこちらとしては、もっと増やしてあげたいくらいよ」
「そんな! わたしは十万円でも多いくらいです。一ヶ月間、お世話になりました。麻利絵ちゃんに、希望の高校に合格できるといいねって伝えて下さい。それじゃ、失礼します」 ――こうして、愛美は葉山の秦野邸を後にして、さいたま市の牧村家へ向かうのだった。 * * * * ――それから四日後。愛美は〝あしながおじさん〟宛てにハガキを出した。 幸い、久留島さんからは手紙も来なかったし、電話がかかってくることもなかったので、さやかの実家でのびのびと夏休みらしい日々を過ごすことができたけれど。 愛美にはひとつ、心に引っかかりが残っている。それは、まだケンカ中だった純也さんとの関係を修復できないでいること。千藤農園へ行くことになっていたら、そこで彼に会えて仲直りができたかもしれないけれど。そうしなかったので、仲直りのタイミングをうまく掴めずにいたのだ。(わたしも大人げなかったのかな……。いつまでも意固地になってちゃ、いつまで経っても仲直りなんてできないよね) 彼は大事な人なのに……。愛美のことを本気で好きだと言ってくれた人なのに。(だったら、わたしから歩み寄らなきゃ! おじさまに……あの人に手紙を出そう) そう決意して、認(したた)めた手紙だった。****『拝啓、おじさま。 おじさまからの手紙も、久留島さんからの連絡も間に合わなかったみたいですね。よかった。 消印でもお分かりの通り、わたしは埼玉にあるさやかちゃんのご実家に来てます。今日で五日目。 さやかちゃんのご家族はみんな優しいし、毎日楽しくのびのびと過ごしてます。映画を観に行ったり、プールへ泳ぎに行ったり。 今日は花火大会なので、もうすぐ花火が上がるよってさやかちゃんが呼んでます。それじゃ、また。 でも、純也さんと仲直りするタイミングを逃(のが)しちゃったかなって、ちょっと悔やんでます。こっちから連絡して、謝った方がいいのかな……? 学校の寮に戻ったら、わたしから一度メッセージを送ってみようと思います。 かしこ八月二十四日 さいたま市・牧村家にて 愛美』****
「……お二人とも、聞こえてるんだけど」「あっ、ゴメン!」「こっちの話は気にしないで、読む方に集中して?」 さやかと愛美が謝り、そう言うと、珠莉はひとつため息をついた後にまた画面に視線を戻した。「集中して」と言ったって、ムリな話ではあると思うのだけれど――。 ――それから一時間ほど後。「愛美さん、読み終わりましたわよ」 珠莉がパソコンの画面を閉じて、愛美に声をかけてきた。「えっ、もう読んだの!? 早かったね」 あの小説は原稿用紙三百枚分ほどの長さがあるので、じっくり読み進めると読み終えるまで二時間以上はかかるはずだ。ということは、珠莉は読むスピードを速めたということになる。「ええ、愛美さんが私からのアドバイスを待ってると思って、急いで読んだのよ。――それでね、愛美さん。この小説で私が感じたことなんだけど」「うん。どんなことでも大丈夫だから、忌憚なく言って」「じゃあ、述べさせてもらうわね。――私の感じたことを率直に言わせてもらうと、やっぱりこの小説の中からは、あなたのセレブに対する苦手意識というか偏見というか、そういうものが読み取れたの。出版に至らなかった理由はそこなんじゃないかしら」「あー、やっぱりそうか。編集者さんからも同じこと言われたんだ」 書籍として流通するということは、この小説が多くの人の目に触れるということだ。読んだ人の中には気分を害する人も出てくるかもしれない。プロとして、そういう内容の本を世に送り出すわけにはいかないと判断されたのだろう。 もしこの小説を珠莉ではなく、純也さんに読んでもらったとしても、きっと同じことを言われたに違いない。「『出版できない』って聞かされた時はショックだったけど、これで納得できたよ。ありがとね、珠莉ちゃん」 これで、初めての挫折からはすっかり立ち直ることができそうだ。愛美はもう前を向いていた。「いえいえ、私でお役に立ててよかったわ。でもあなた、思ったより落ち込んでいないみたいね」「そういやそうだよねー。『ヘコんだ」って言ったわりにはけっこう前向いてるっていうか」「うん。もうわたしの意識は次回作に向いてるから。いつまでも落ち込んでられないもん」 二年前の愛美なら、いつまでもウジウジ悩んでいただろう。でも、もうネガティブな愛美はいない。純也さんに釣り合うよう、いつでも自分を誇れる人間でいた
「ええ、いいわよ。私でよければ。とりあえず着替えさせてもらうわね。それからでもいいかしら?」「あ、うん。もちろんだよ。ありがと。なんかゴメンね、帰ってきたばっかりなのに」「いいのよ、愛美さん。謝らなくてもよくてよ」「ありがとねー、珠莉。アンタと愛美、すっかり仲良くなったよね。最初の頃はさぁ、愛美に『叔父さま盗(と)られた~!』とか言ってたのに」 さやかは二年以上も前の話を持ち出して、二人の関係がすっかり変わったことに感心している。あれはこの高校に入学した翌月で、純也さんが初めて学校を訪ねてきた時のことだ。 それに対して、珠莉が制服から私服に着替えながら答える。「あの頃はまだ、純也叔父さまが愛美さんのいう〝あしながおじさま〟の正体で、お二人が恋人同士になるなんて思ってもみなかったもの。本当に、人生って何が起こるか分からないものよね」「うん……、ホントにね」 珠莉の最後のセリフに愛美も頷いた。純也さんが〈わかば園〉の理事をしていなければ、理事であったとしても愛美の学費を援助すると申し出てくれなければ、彼女は今この場にいなかったのだ。山梨県内の公立高校で、悶々とした高校生活を送っていただろう。もしくはどこかの温泉旅館で住み込みの仲居さんとして働いていたとか。「――はい、お待たせ。着替え終わったから原稿を読ませてもらうわ。データは残してあるのね?」「うん。わたしのPCのデスクトップと、一応USBにも保存してあるよ。待ってね、今ファイル開くから」 愛美は自分のノートパソコンで、ボツになった原稿のファイルを開いた。「これがその小説だよ」「分かったわ。じゃあ、ちょっと失礼して」 珠莉は愛美に場所を譲ってもらい、ブルーライトカットのためにPC用の眼鏡(メガネ)をかけて小説の原稿を読み進めていった。「……珠莉ちゃんって普段は眼鏡かけないけど、たまにかけるとすごく知的に見えるよね」「顔立ちのせいなんじゃない? あたしが眼鏡かけてもああはならないよ。あたし、上向きの団子っ鼻だからさ」 珠莉が真剣な眼差しで原稿を読み進める傍(はた)で、愛美とさやかはヒソヒソと彼女の意外なギャップを発見して盛り上がっていた。愛美に至っては、彼女の頼みごとをした本人だというのに……。
「あ、愛美。おかえり。――どうした? なんかちょっと元気ないじゃん?」「うん……。さやかちゃん、鋭い。ちょっとね、ヘコんじゃう出来事があって」「もう友だちになって三年目だよ? 元気がないのは見りゃ分かるって。今日は編集者さんと会ってたんだっけ。じゃあ、作家の仕事絡み?」「正解。詳しい話は珠莉ちゃんが帰ってきてからするけど、長編の原稿がボツ食らっちゃってね」「えっ、ボツ!? 長編ってあれでしょ、冬からずっと頑張って書いてて、夏休みの間に書き上げたっていう、純也さんが主人公のモデルだった」「うん、そうなの。あれ」 さやかがズバリ、どんな作品だったか言い当てて愛美も頷いたけれど、さすがに純也さんが主人公のモデルだったという情報まで言う必要はあっただろうか?「う~ん、そっかぁ……。珠莉、部活は五時までだったと思うから。帰ってきたら一緒に話聞いてもらおう。珠莉の方が、あの小説のどこがダメだったか分かると思うんだ」「そうだね。わたしもそう思ってた」 一応は社長の娘だけれど庶民的なさやかより、生まれながら名家のお嬢さまである珠莉の方が、ダメ出しのポイントが適格だと思う。何せ、モデルは彼女の血の繋がった叔父なのだから。 それから三十分ほどして、部活を終えた珠莉が部屋に帰ってきた。「――ただいま戻りました」「珠莉ちゃん、おかえり。部活お疲れさま」「珠莉、おかえりー。何かさあ、愛美が聞いてほしい話があるんだって」 珠莉がクローゼットにスクールバッグをしまうのを待ってから、二人は彼女に声をかけた。 彼女は最近、週末は雑誌の撮影で忙しいけれど、平日の放課後はまだ部活があるので撮影は入っていないらしい。こちらも学業優先なのだ。「――愛美さん、私に聞いてほしい話ってなぁに?」「えっと、わたしが冬休みから長編小説を書いてたこと、珠莉ちゃんも知ってるよね? ……純也さんが主人公のモデルの」「ええ、知ってるわよ。夏休みの間に書き上がって、編集者さんにデータを送ったらしいってさやかさんから聞いたけど。あれがどうかして?」「実はね、あの小説、ボツになっちゃったの。今日、編集者さんから『あれは出版されないことになった』って聞いて。でね、どういうところがダメだったのか、珠莉ちゃんに読んで指摘してもらえたらな、って思ったんだけど……」 珠莉はプロの編集者ではないので、
「――そうだ! 次回作は〈わかば園〉のことを題材にして書こう」 自分が育ってきた、よく知っている場所のことなら書いていてリアリティーもあるし、作品に説得力を持たせることもできる。当然のことながら、主人公のモデルは愛美自身だ。「よし、次回作はこれで決定! 今年の冬休み、久しぶりに〈わかば園〉に帰って園長先生とか他の先生たちに話聞かせてもらおう」 愛美の記憶にあることはまだいいけれど、憶えていない幼い頃のことや、愛美が施設にやってきた時のことは園長先生から話を聞かなければ分からない。――それに、愛美の両親のことも。(わたし、お父さんとお母さんが小学校の先生で、事故で亡くなったってことしか知らないんだよね。どんな両親で、どんな事故で命を落としたのか知りたいな) 施設で暮らしていた頃は、まだ幼くて話しても分からないから教えてくれなかったんだろう。でも、愛美も十八歳になって、世間では一応〝大人〟なのだ。今ならどんな話を聞かされても理解できると思う。それがたとえどんなに残酷な話でも、聞く覚悟はできているつもりだ。「……うん、大丈夫。わたしはもう大人なんだから、どんな話を聞いても怖くない」 愛美は決意を新たにしたことで、自身の初めての挫折とも向き合うことを決めた。「今回ボツになったこと、報告しないわけにはいかないよね……」 もちろん〝あしながおじさん〟に、である。ガッカリされるかもしれない。けれど、失望はされないと思う。だって、純也さんはそんなに冷たい人ではないから。「でも、慰められるのもまたツラいんだよね。そこのところは手紙で一応釘を刺しとくか」 部屋に帰ったら〝おじさま〟宛てに手紙を書こう。そう決めて、愛美は寮の玄関をくぐった。「――相川さん、おかえりなさい」「ただいま戻りました。あ~、晴美さんとこうして話せるのもあと半年足らずかと思うと淋しいです」 寮母の晴美さんと挨拶を交わせるのも、高校卒業までだ。大学に進めば寮を変わらなければならないので、当然寮母さんも違う人になる。「私も淋しい~! でも、寮母として寮生の巣立ちを送り出さなきゃいけないから。毎年淋しく思いながら、断腸の思いでそうしてるのよ」「そうなんですね。あと半年、よろしくお願いします」 晴美さんにペコッと頭を下げてから、愛美はエレベーターで四階へ上がった。角部屋の四〇一号室が、三
「……あの、ボツになった理由は?」「あの作品、セレブの世界を描いてますよね? その描写が不十分というか、かなり不適切な描写があったと。先生個人の偏見のようなものが含まれていたようなんです」「ああ~、そう……ですよね。わたし、実は一部の人たちを除いてセレブの人たちって苦手で。冬休み、セレブのお友だちの家で過ごしていた時に色々と取材したんですけど。その時もあまりいい印象は持てなかったです」 純也さんとデートした日のこと以外にも、愛美はあの家に出入りしている富裕層の人たちを観察したり、クリスマスパーティーの時に感じたことも小説の中に織り込んでいた。多分、それが原因だろう。「なるほど……。冬休みといえば二週間くらいですか。富裕層の人たちのことを正しく描写しようと思えば、その程度の日数では足りなかったんでしょう」「ですよね……」 愛美はすっかりヘコんでしまい、大きくため息をついた。(わたしってホントは才能ないのかな……。純也さんの買い被りすぎ? だったら、彼にムダなお金使わせちゃっただけかも)「先生、そんなに落胆しないで。今回は残念な結果でしたけど、次回作でいい作品をお書きになればいいんです。先生はまだ高校生ですし、先生の作家人生はまだ始まったばかりなんですから。焦らず、じっくりといい作品を送り出していきましょう。僕も協力を惜しみませんから」「はい……、そうですね。次回作は頑張ってみます」 ――愛美持ちで会計を済ませて岡部さんと別れた後、愛美は自分でも悪かったところを反省してみた。(岡部さんに原稿を送る前に、珠莉ちゃんにデータを送って読んでもらえばよかったかな。珠莉ちゃんなら何か的確なアドバイスをくれたかも) 愛美にとっていちばん身近なセレブが珠莉である。彼女に最初の読者になってもらえば、「ここがよくない」とか「ここはこういう書き方の方がいい」とか助言してもらえて、もっといい作品になったはず。そうすればボツを食らうこともなかったかもしれない。(……まあ、〝たられば〟言いだしたらキリがないし、もう終わったことだからどうしようもないんだけど) 済んでしまったことを悔やむより、前に進むことを考えなければ。「次回作……、どうしようかな」 寮への帰り道、悩みながら歩いていた愛美の頭を不意によぎったのは、彼女が中学卒業まで育ってきたあの場所のことだっ
* * * * それから数週間後の放課後。この日は文芸部の活動はお休みだったので、短編集のゲラの誤字・脱字などのチェックを終えた愛美は学校の最寄駅前にあるカフェに担当編集者の岡部さんを呼び出した。「――はい。相川先生、お疲れさまでした。これでこの短編集『令和日本のジュディ・アボットより』は無事に発売される運びとなります」「よろしくお願いします。わたしも発売日が待ち遠しいです」 愛美は確認を終えたゲラを大判の封筒に入れる岡部さんに、改めてペコリと頭を下げた。 ゲラの誤字や脱字を赤ペンで修正していく作業は初めてだったけれど、思いのほか少なかったので楽しくこなすことができた。あとは一ヶ月後、本屋さんの店頭に並ぶ日を待つだけだ。(純也さん、聡美園長とか施設の先生たちにも宣伝してくれたかな。もちろん自分では買って読んでくれるだろうけど) 彼は〈わかば園〉を援助してくれている理事の一人でもあり、あの施設の関係者で愛美の書いた本がもうじき発売されることを前もって知っているのも彼だけなのだ。彼ならきっと、園長先生にはそれとなく報告しているだろうけれど。 (どうせなら、立て続けに二冊発売される方が園長先生や他の先生たちも、もちろん純也さんも喜んでくれるだろうな……)「――ところで岡部さん、わたしの長編の方はどうなりました? データを送ってから一ヶ月以上経ってると思うんですけど」 そろそろ出版するかどうかの決定が下される頃だろうと思い、愛美は岡部さんに訊ねてみたのだけれど……。「…………すみません、先生。それがですね……、あの作品は残念ながら出版できないということになってしまいまして。つまり、ボツということです」「えっ? ボツ……ですか」 彼の返事を聞いて、愛美は目の前が真っ暗になった気がした。岡部さんはあれだけ作品を褒めてくれたのに、熱心にアドバイスまでくれて、書き上がった時にはものすごく喜んでくれたのに……。(なのに……ボツなんて)「だって、岡部さん言ってたじゃないですか。『これは間違いなく出版されるはずです』って」「いえ、僕はあの作品を気に入ってたんですけど……、上が『ダメだ』というもので。僕も本当に残念だとは思ってるんですが、まぁそそういう次第でして」「そんな……」 岡部さんもガッカリしているのだと分かったのがせめてもの救いだけれど
彼も反省してたんだって知って、わたしは彼を許してあげることにしました。やっぱり彼のことが好きだから、仲違いしたままでいるのはつらかったの。仲直りできてよかったって思ったのと同時に、どうしてもっと早くできなかったんだろうとも思いました。フタを開けてみたら、こんなに簡単なことだったのに。 純也さんに、この秋に発売されることが決まってる短編集の売り込みもバッチリしておきました(笑) わたしが作家になって記念すべき一冊目の本だもん。ぜひとも読んでもらいたくて。 純也さんは今、まだオーストラリアにいるそうです。あと二、三日したら帰国するって言ってましたけど。 日本とオーストラリアには時差は一時間くらいしかないけど、あっちは南半球なので季節が真逆だっていうのが面白いですね。「こっちは寒さが厳しいから、早く日本に帰りたいよ」って彼は言ってました。帰ってきたらきたで、こっちはまだ残暑が厳しいからあんまり過ごしやすくないけど。そういえば、オーストラリアってクリスマスシーズンは真夏だから、サンタクロースがトナカイの引く雪ゾリじゃなくてサーフボードに乗って登場するんだっけ。 付き合ってる以上、純也さんとはこれから先もケンカするかもしれないけど、今回のことを教訓にして早く仲直りできるようにしようと思います。どっちかが折れなきゃいけない時には、なるべくわたしが折れるようにしたい。純也さんだって、そんなに無茶なことを言わないと思うから。 もうすぐ、編集者の岡部さんがさっき話した短編集のゲラ稿を持ってくるはず。そしたら、いよいよ商業作家としてのお仕事が本格的に始まります。長編の方はデータを送ったきり、まだ連絡はありません。今ごろ出版会議の真っ只中ってところかな。どうか出版が決まりますように……! かしこ八月三十一日 いよいよ商業デビューする愛美』****(純也さんがこの手紙を読むのは日本に帰国してからだろうな……。どうか、あの小説の出版が決まりますように!) だってあれは愛美が初めて執筆に挑戦した長編小説で、本として世に出るために書いていたのだから。自分でも、もしかしたら大きな賞とか本屋大賞が取れるんじゃないかと思うほどよく書けたという自負がある。 ――ところが、世間はそう甘くなかった。
****『拝啓、あしながおじさん。 お元気ですか? わたしは今日も元気です。 今日、さやかちゃんと一緒に〈双葉寮〉に帰ってきました。明日から二学期が始まります。 今年の夏休みも、ワーカーホリックの中学校の宿題はバッチリ終わらせました! さやかちゃんも。 珠莉ちゃんはこの夏、モデルオーディションを何誌も受けて、ついにファッション誌の専属モデルに合格したそうです! わたしに続いて、珠莉ちゃんも夢を叶えたんだって思うと、わたし嬉しくて! 二学期には自分の進路を決めなきゃいけないから、多分一学期までより学校生活も忙しくなりそう。わたしは作家のお仕事もあるから、他の子たち以上に大変だと思う……! でも、わたしと珠莉ちゃんはもう進学する学部を決めてるからまだいい方かな。問題はさやかちゃん。まだ福祉学部にするか、教育学部にするかで迷ってるみたい。わたしは彼女がどっちを選んでも、全力で応援してあげたいと思ってます。 ところでおじさま、聞いて下さい。わたし今日、やっと純也さんと仲直りできたの! 実は夏の間ずっと、彼といつ仲直りしたらいいのかタイミングをうまく掴めずにいて、わたしも気にしてたの。 確かに七月のケンカでは、わたしにヒドいことをさんざん言った彼の方が大人げなくて悪かったけど、わたしもちょっと意固地になりすぎてたのかなって反省したの。「メッセージを既読スルーしてやる」とは思ってたけど、彼からはまったく連絡が来なくて、だからってわたしから連絡するのもなんかシャクで。 でも、やっぱり仲直りしたいなと思ってたタイミングで、おじさまにも話した彼からのあの上から目線のメッセージが来て。わたしはさやかちゃんのご実家に行くことにしたから、その時にも仲直りはできなくて。 で、今日思いきって彼にメッセージを送ってみたの。電話にしなかったのは、彼がオーストラリアにいるってメッセージを送ってきてたからっていうのと、電話で話すのは正直まだシャクだったっていうのもあって。そしたらすぐに既読がついて、彼から電話してきてくれたの。 純也さん、「大人げないのは自分の方だった。ごめん」ってわたしに謝ってくれました。彼はわたしの自立心とか向上心が本当は好きだけど、同時に自分に甘えてくれなくなるんじゃないかって、それを淋しく感じてたみたい。「男ってバカだろ?」って言って笑ってました。
「……純也さんは今、まだオーストラリアにいるの?」『うん。こっちは今、冬の終わりって感じかな。でも寒さが厳しくてさ、早く日本に帰りたいよ。そっちはまだ残暑が厳しいんだろうな』(あ、そっか。オーストラリアは南半球だから日本と季節が真逆になるんだっけ) 地球の反対側にあるオーストラリアは、日本と時差はほぼないに等しいけれど、その代わり季節が逆転しているのだと愛美は思い出した。クリスマスにサンタクロースが雪ゾリではなく、サーフボードに乗ってやってくるというのが有名なエピソードである。「そうなんだよね。明日から九月なのに、まだ真夏みたいに暑いの。純也さん、日本に帰ってきたら茹(ゆ)だっちゃいそう」『それは困るなぁ。でも、あと二、三日後には帰国する予定だから。仕事も立て込んでるみたいだしね。でも、どこかで予定を空けて愛美ちゃんに会いに行くよ』「うん! じゃあ、気をつけて帰ってきてね。わたしも明日からまた学校の勉強頑張る。あと、短編集のゲラのチェックもやらないといけないから、そっちも」『現役高校生作家も大変だな。でも、何事にも一生懸命な愛美ちゃんならどっちも頑張れるって、俺も信じてるよ。……夏休みの宿題はちゃんと終わった?』「大丈夫! 今年もちゃんと全部終わらせたから。――それじゃ、帰国したらまた連絡下さい」『分かった。じゃあまたね、愛美ちゃん。メッセージくれて嬉しかったよ』「うん」 ――愛美が電話を終えると、嬉しそうに笑うさやかと珠莉の顔がそこにはあった。二人は通話が終わるまでずっと、成り行きを見守ってくれていたようだ。「純也さんと無事に関係修復できてよかったじゃん、愛美」「お二人がギクシャクしてると、私たちも何だか落ち着かなかったのよねえ。だから、無事に仲直りして下さってよかったわ」「さやかちゃん、珠莉ちゃん、心配かけてごめんね。でも、わたしと純也さんはこれでもう大丈夫。見守ってくれてありがと」 思えば七月に彼とケンカをしてから、この二人の親友にもずいぶんヤキモキさせてしまっていた。彼女たちのためにも、こうして無事に彼との仲を修復できてよかったと愛美は思った。「――さて、一応形だけでも〝おじさま〟に報告しとかないとね」 あくまで愛美が「純也さんと〝あしながおじさん〟は別人」、そう思っているように彼には思わせておかなければ話がややこしくなる